
ヴァイシュナヴァ
バジャン
Suddha-bhakata
スッダ バカタ
作詞:バクティヴィノーダ・タクーラ
(1)
シュッダ バカタ チャラナ レーヌ
Śuddha-bhakata-caraṇa-reṇu,
バジャナ アヌクーラ
bhajana-anukūla
バカタ セーヴァー パラマ シッディ
bhakata-sevā, parama-siddhi,
プレーマ ラティカーラ ムーラ
prema-latikāra mūla
(2)
マーダヴァ ティティ バクティ ジャナニー
mādhava-tithi, bhakti-jananī,
ジャタネ パーラナ コーリ
jatane pālana kori
クリシュナ バサティ バサティ ボーリ
kṛṣṇa-basati, basati boli’,
パラマ アーダレ ボーリ
parama ādare bori
(3)
ガウラーマーラ ジェ サバ スターネ
gaur āmāra, je-saba sthāne,
コーラロー ブラマナ ランゲー
koralo bhramaṇa raṅge
セー サバ スターナ ヘリボ アーミ
se-saba sthāna, heribo āmi,
プラナイ バカタ サンゲー
Praṇayi-bhakata-saṅge
(4)
ムリダンガ バーデャ シュニテー マナ
mṛdaṅga-bādya, śunite mana,
アバサラ サダー ジャーチェー
abasara sadā jāce
ガウラ ビヒタ キールタナ シュニ
gaura-bihita, kīrtana śuni’,
アーナンデ フリドヤ ナーチェー
ānande hṛdoya nāce
(5)
ユガラ ムールティ デキヤー モーラ
jugala-mūrti, dekhiyā mora,
パラマ アーナンダ ホーヤ
parama-ānanda hoya
プラサーダ セバー コリテ ホーヤ
prasāda-sebā korite hoya,
サカラ プラパンチャ ジャヤ
sakala prapañca jaya
(6)
ジェー ディナ グリヘー バジャナ デーキ
je-dina gṛhe, bhajana dekhi,
グリヘーテー ゴーローカ バーヤ
gṛhete goloka bhāya
チャラナ シードゥ デキヤー ガンガー
caraṇa-sīdhu, dekhiyā gaṅgā,
スカ ナー シーマー パーヤ
sukha nā sīmā pāya
(7)
トゥラシー デーキ ジュラーヤ プラーナ
tulasī dekhi’, jurāya prāṇa,
マーダヴァ トシャニー ジャーニ
mādhava-toṣaṇī jāni’
ガウラ プリヤ シャーカ セーヴァネー
gaura-priya, śāka-sevane,
ジーヴァナ サールタカ マーニ
jīvana sārthaka māni
(8)
バカティヴィノーダ クリシュナ バジャネ
bhakativinoda, kṛṣṇa-bhajane,
アナクーラ パーヤ ジャーハー
anakūla pāya jāhā
プラティ ディバセ パラマ スケ
prati-dibase, parama-sukhe,
スィーカーラ コロイェ ターハー
swīkāra koroye tāhā
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純粋な献身者の蓮華の御足の埃、熱心な献身奉仕、そして最も純粋度の高い献身者への奉仕は、献身のつるの根っこです。
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エカーダシーやジャンマスタミーを敬うディボーティーにとって、そのような聖なる日は献身の母です。クリシュナの遊戯が行われる聖なる土地を、私が崇拝する土地としましょう。そしてわたしを祝福してください。
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主チャイタニヤと主の献身者のリーラが行われた聖なる土地へいつも訪れることができますように。
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わたしのこころの中でムリダンガの音が聞こえるとき、わたしはいつもキールタンに参加したいと願い、そして主チャイタニヤの遊戯を物語る権威ある曲が聞こえるとき、わたしのこころは恍惚状態になりながら踊る。
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ラーダとクリシュナの超越的なシュリ・ヴィグラハを見るたびにわたしはこの上ない喜びを感じます。なぜならお二人が召し上がったプラサーダムを食べると物質的要因を克服することができるからです。
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ある日献身奉仕を行なっていると、私の家がゴーロカ・ヴリンダーヴァナに変貌を遂げるのを目の当たりにしました。神像のチャラナムリタを口にする時、私は主ヴィシュヌの御足から流れる聖なるガンジス川が見えます。そして私の至福は終わりを知りません。
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トゥラシーの木を見ることで私の心は喜びを感じ、主マダヴァ(クリシュナ)も満足なさります。主チャイタニヤが気に入られたプラサーダを食べるのは新しい人生の体験のようです。主チャイタニヤはサクと呼ばれる緑の葉物野菜の料理を大変好まれました。この本に含まれる別の歌にはこの種類のプラサーダの素晴らしい効果について述べられています。
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バクティヴィノーダはこのような言葉で締めます。「これらの献身奉仕に対して、熱意の段階にたどり着いた者は至高なる至福をどこでも感じるでしょう。」