
ヴァイシュナヴァ
バジャン
Śrī Dāmodarāṣṭakaṁ
シュリー・ダーモーダラースタカム
作詞:サティヤヴラタ・ムニ
(1)
ナマーミーシュヴァラム サッチ アナンダ ルーパン
namāmīśvaraṁ sac-cid-ānanda-rūpaṁ
ラサッ クンダラン ゴクレ ブラージャマナン
lasat-kuṇḍalaṁ gokule bhrājamanam
ヤショダー ビヨルークラ ダーヴァマーナン
yaśodā-bhiyolūkhalād dhāvamānaṁ
パラームリシュタン アティヤンタト ドゥルティヤ ゴーピャー
parāmṛṣṭam atyantato drutya gopyā
(2)
ルダンタン ムフル ネトラ ユグマン ムリジャンタン
rudantaṁ muhur netra-yugmaṁ mṛjantam
カラーンボージャ ユグメナ サータンカ ネートラン
karāmbhoja-yugmena sātańka-netram
ムフ スヴァーサ カンパ トゥリレーカーンカ カンタ
muhuḥ śvāsa-kampa-trirekhāńka-kaṇṭha
スティタ グライヴァン ダーモーダラン バクティ バッダム
sthita-graivaṁ dāmodaraṁ bhakti-baddham
(3)
イティードゥリク スヴァ リーラービル アーナンダ クンデー
itīdṛk sva-līlābhir ānanda-kuṇḍe
スヴァ ゴーシャン ニマジャンタン アーキャーパヤンタン
sva-ghoṣaṁ nimajjantam ākhyāpayantam
タディーエーシタ グネーシュ バクテェイル ジタトヴァン
tadīyeṣita-jñeṣu bhaktair jitatvaṁ
プナ プレーマタス タン シャターヴリティ ヴァンデー
punaḥ prematas taṁ śatāvṛtti vande
(4)
ヴァラン デーヴァ モークシャン ナ モークシャーヴァディン ヴァー
varaṁ deva mokṣaṁ na mokṣāvadhiṁ vā
ナ チャニャン ヴリネー ハン ヴァレシャダピーハ
na canyaṁ vṛṇe ‘haṁ vareṣād apīha
イダン テー ヴァプル ナータ ゴパーラ バーラン
idaṁ te vapur nātha gopāla-bālaṁ
サダー メー マナスャー ヴラースターン キマーニェイ
sadā me manasy āvirāstāṁ kim anyaiḥ
(5)
イダン テー ムカーンボジャン アティヤンタ ニーレイ
idaṁ te mukhāmbhojam atyanta-nīlair
ヴリタン クンタレイ シュニグダ ラクタイシュ チャ ゴーピャー
vṛtaṁ kuntalaiḥ snigdha-raktaiś ca gopyā
ムフス チュンビタン ビンバ ラクターダラン メー
muhuś cumbitaṁ bimba-raktādharaṁ me
マナスャー ヴラースターン アラン ラクシャ ラーベイ
manasy āvirāstām alaṁ lakṣa-lābhaiḥ
(6)
ナモー デーヴァ ダーモダラーナンタ ヴィシュノー
namo deva dāmodarānanta viṣṇo
プラシーダ プラボー ドゥカ ジャーラーブディ マグナン
prasīda prabho duḥkha-jālābdhi-magnam
クリパー ドゥリシュティ ヴリシュテャーティ ディーナン バターヌ
kṛpā-dṛṣṭi-vṛṣṭyāti-dīnaṁ batānu
グリハーネーシャ マン アギュナン エーディ アクシ ドゥリシャ
gṛhāṇeṣa mām ajñam edhy akṣi-dṛśyaḥ
(7)
クヴェーラートゥマジャウ バッダ ムルテャイヴァ ヤドゥヴァ
kuverātmajau baddha-mūrtyaiva yadvat
トゥヴァヤー モーチタウ バクティ バージャウ クリタウ チャ
tvayā mocitau bhakti-bhājau kṛtau ca
タター プレーマ バクティン スヴァカーン メー プラヤッチャ
tathā prema-bhaktiṁ svakāṁ me prayaccha
ナ モークシェ グラホー メー スティ ダーモダレーハ
na mokṣe graho me ‘sti dāmodareha
(8)
ナマス テー ストゥ ダムネ スプラ ディプティ ダームネー
namas te ‘stu dāmne sphurad-dīpti-dhāmne
トゥヴァディーヨダラーヤートゥハ ヴィシュヴァシャ ダームネー
tvadīyodarāyātha viśvasya dhāmne
ナモー ラーディカーヤイ トゥヴァディーヤ プリヤーヤイ
namo rādhikāyai tvadīya-priyāyai
ナモー ナンタ リーラーヤ デーヴァヤ トゥビャン
namo ‘nanta-līlāya devāya tubhyam
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至福、知識、そして永遠の存在を体現する姿を持ち、きらめき揺れるイヤリングをつけ、ゴークーラの神聖な地で美しく輝く至高支配者であり、(主の母がバターに撹拌していたヨーグルトの器を壊し、物置に吊るしてあったバターを盗んだため)、母ヤショーダーを恐れ、急いで木臼の元から逃げるものの、しまいには主をより速いスピードで追いかけた彼女に捕まえられたその至高主シュリー・ダーモーダラに、私は尊敬の礼を捧げます。
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(母のお仕置きの棒を見て)主は泣き、その二つの蓮華の手で何度も何度も目をこすっています。その目は恐れおののき、ほら貝のように3本の線で飾られた、首にかかっている真珠のネックレスは主の荒い息遣いによって揺れています。縄ではなく、母親の純粋な愛に縛られた至高主シュリー・ダーモーダラに私は尊敬の礼を捧げます。
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主の幼少時代の遊戯は、ゴークーラの住人を恍惚の深みに沈めます。そして主の威厳と富裕の知識にだけ魅了されている献身者には、畏敬の念とはかけ離れ、親密さに溢れる純粋な愛をもつ献身者によってのみ、主は征服されるのだと明かしています。大いなる愛情を抱き、至高主シュリー・ダーモーダラに、私は何度も何度も敬意を表します。
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主よ、たとえあなたがあらゆる恩恵を与えることができても、私はあなたから非人格的な解放を授かりたいと思いません。ヴァイクンタでの永遠の命や、バクティの9つのプロセスを従うことで得られる、その他のどんな恩恵も望みません。私のただ一つの祈りは、ヴリンダーヴァナでのあなたのバラ・ゴパーラとしてのお姿を常に心に思い浮かべることです。これ以外の恩恵になんの意味があるのでしょう?
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主よ、カールし、艶やかなその黒髪に飾られたあなたの蓮華のお顔は、母ヤショーダーに何度もキスされ、あなたの唇はビンバフルーツのように赤く染まっています。あなたの蓮華のお顔の光景がいつまでも心にとどまっていますように。何百万もの他の恩恵さえも、私には何の価値もありません。
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至高主よ、あなたに尊敬の礼を捧げます。ダーモダラーよ!アナンタよ!ヴィシュヌよ!主人よ、どうか私に慈悲深くあってください。世俗的な悲しみの海に溺れたこの惨めで無知な愚か者に、その慈悲深い視線を浴びせ、私を救ってください。そうしてどうか私の視界にお現れください。
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主ダーモダラーよ、木臼に縄で縛られた赤ちゃんのお姿をとったあなたは、クヴェラの二人の息子、マニグリーヴァとナラクヴェーラをナーラダの呪いから解き、偉大な献身者とされました。どうか私にも同じように、あなたのプレマ・バクティをお与えください。それが私の唯一の望みであり、他の解放など望みません。
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主ダーモダラーよ。私はまず、あなたのお腹を縛るその美しく輝く縄に尊敬の礼を捧げます。次に、全宇宙の住居であるあなたのお腹に尊敬の礼を捧げます。私はあなたの最も愛しいお方、シュリマティー・ラーダーラーニーに深く敬意を表し、そして無限なる遊戯を繰り広げなさる至高主であるあなたに尊敬の礼を捧げます。