
ヴァイシュナヴァ
バジャン
Śrī Śrī Śikṣāṣṭaka
シュリー シュリー シクシャーシュタカ
(1)
チェートー ダルパナ マールジャナム
ceto-darpaṇa-mārjanaḿ
バヴァ マハー ダーヴァーグニ ニルヴァーパナン
bhava-mahā-dāvāgni-nirvāpaṇaḿ
シュレーヤ カイラヴァ チャンドゥリカー ヴィタラナム
śreyaḥ-kairava-candrikā-vitaraṇaḿ
ヴィデャー ヴァドゥー ジーヴァナン
vidyā-vadhū-jīvanam
アーナンダーンブディ ヴァルダナン
ānandāmbudhi-vardhanaḿ
プラティ パダン プールナームリタースヴァーダナン
prati-padaḿ pūrṇāmṛtāsvādanaḿ
サルヴァートゥマ スナパナン パラン ヴィジャヤテー
sarvātma-snapanaḿ paraḿ vijayate
シュリー クリシュナ サンキールタナン
śrī-kṛṣṇa-sańkīrtanam
(2)
ナーンナーン アカーリ バフダー ニジャ サルヴァ シャクティス
nāmnām akāri bahudhā nija-sarva-śaktis
タトゥラールピター ニヤミタ スマラネー ナ カーラハ
tatrārpitā niyamitaḥ smaraṇe na kālaḥ
エタードゥリシー タヴァ クリパー バガヴァン ママーピ
etādṛśī tava kṛpā bhagavan mamāpi
ドゥルダイヴァン イードゥリシャン イハージャニ ナーヌラーガハ
durdaivam īdṛśam ihājani nānurāgaḥ
(3)
トゥリナーダピ スニーチェナ
tṛṇād api sunīcena
タロール アピ サヒシュヌナー
taror api sahiṣṇunā
アマーニナー マーナデーナ
amāninā mānadena
キールタニーヤ サダー ハリ
kīrtanīyaḥ sadā hariḥ
(4)
ナ ダナン ナ ジャナン ナ スンダリーン
na dhanaḿ na janaḿ na sundarīḿ
カヴィターン ヴァー ジァガディーシャ カーマイエー
kavitāḿ vā jagad-īśa kāmaye
ママ ジャンマニ ジャンマニーシュヴァレー
mama janmani janmanīśvare
バヴァタードゥ バクティル アハイトゥキー トゥヴァイ
bhavatād bhaktir ahaitukī tvayi
(5)
アイ ナンダ タヌジャ キンカラン
ayi nanda-tanuja kińkaraḿ
パティタン マーン ヴィシャメー バヴァーンブダウ
patitaḿ māḿ viṣame bhavāmbudhau
クリパヤー タヴァ パーダ パンカジャ
kṛpayā tava pāda-pańkaja-
スティタ ドゥリー サドゥリシャン ヴィチンタヤ
sthita-dhūlī-sadṛśaḿ vicintaya
(6)
ナヤナン ガラドゥ アシュル ダーラヤー
nayanaḿ galad-aśru-dhārayā
ヴァダナン ガドゥガダ ルッダヤー ギラー
vadanaḿ gadgada-ruddhayā girā
プラカイル ニチタン ヴァプ カダー
pulakair nicitaḿ vapuḥ kadā
タヴァ ナーマ グラハネ バヴィシャティ
tava nāma-grahaṇe bhaviṣyati
(7)
ユガーイタン ニメーシェーナ
yugāyitaḿ nimeṣeṇa
チャクシュシャー プラーヴリシャーイタン
cakṣuṣā prāvṛṣāyitam
シューンヤーイタン ジャガトゥ サルヴァン
śūnyāyitaḿ jagat sarvaḿ
ゴヴィンダ ヴィラヘナ メー
govinda-viraheṇa me
(8)
アーシュリシャ ヴァー パーダ ラータン ピナシュトゥ マーン
āśliṣya vā pāda-ratāḿ pinaṣṭu mām
アダルシャナーン マルマ ハターン カロトゥ ヴァー
adarśanān marma-hatāḿ karotu vā
ヤター タター ヴァー ヴィダダートゥ ランパト
yathā tathā vā vidadhātu lampaṭo
マトゥ プラーナ ナータス トゥ サ エーヴァ ナパラハ
mat-prāṇa-nāthas tu sa eva nāparaḥ
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長い年月を通して積まれてきた心の塵を一掃し、生死の繰り返しでしかない束縛の炎を消し去るシュリー・クリシュナ・サンキールタンに栄光あれ。このサンキールタナ運動は、全人類に与えられた無上の祝福です。なぜならそれは、祝福という月の光を放っているからです。サンキールタン運動はすべての超越的知識の精髄であり、深遠な超越的喜びの海を広め、私たちが絶えず切望している人生の甘露を心いくまで味わわせてくれます。
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わが主よ。あなたの御名のみが、あらゆる祝福を生命に与えます。故にあなたは「クリシュナ」や「ゴヴィンダ」を始め、無数の御名をお持ちです。あなたはこのような超越的御名のうちに、御自分の超越的力のすべてを託されました。御名を唱えることに、難しい規則は全くありません。わが主よ、あなたは思いやりから、私たちがこれらの御名を通してあなたに容易に近づけるように配慮してくださいました。しかし、不運なことに私は、あなたの聖なる御名に少しの魅力さえも感じません。
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私たちは謙虚な気持ちで主の聖なる御名を唱えなくてはなりません。自分を道端のわらよりも卑しく思い、木よりも忍耐強く、偽の名声に対する欲を一切捨て去り、人々に心からの敬意を払える心境になくてはなりません。そのとき初めて、人は主の聖名を絶え間なく唱えることができるのです。
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全能なる主よ、私は富を蓄えることも、美女と遊ぶことも、従者をもつことも望みません。私はただ生まれても生まれても、あなたへのいわれなき献身奉仕を行いたいだけです。
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マハラージ・ナンダの愛し子(クリシュナ)よ、私は、あなたの永遠のしもべです。しかしどうしたことか、私はこの生死の海に落ちてしまいました。どうか私をこの死の海から救い出し、あなたの蓮華の御足につく原子の一つにしてください。
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わが主よ、あなたの聖なる御名を唱える時、私の目がとめどもなく流れる愛の涙で飾られるのはいつのことでしょうか。あなたの御名を口ずさむや否や声がつまり、体中の毛が逆立つのは、いつのことでしょうか。
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ゴーヴィンダよ、あなたとの離別を感じ、一瞬が12年か、それ以上にも思えます。涙は激しい雨のように流れ、あなたのいない世界はただ虚しいだけです。
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クリシュナは私のただ一人の主人です。たとえ私をその抱擁で手荒く扱っても、姿を見せずに私を悲しませても、クリシュナは私の変わらぬ主人です。主は何をなさるのもご自由です。なぜなら、何が起ころうと、主は常に私の敬うべき絶対的主人だからです。
この8節からなるシュリー・チャイタニヤ・マハープラブの教えを唱え、または聴く者はクリシュナへの恍惚愛と献愛を日に日に増すことができます。