
ヴァイシュナヴァ
バジャン
Manaḥ-śikṣā
マナハ・シクシャー
作詞:ナロッタマ・ダース・タクーラ
(1)
ニターイ パダ カマラ コティ チャンドラ スシータラ
nitāi-pada-kamala, koṭi-candra-suśītala
ジェー チャヤーイ ジャガタ ジュラーイ
je chāyāy jagata jurāy
ヘーノー ニターイ ビネー バーイ ラーダー クリシュナ パーイテー ナーイ
heno nitāi bine bhāi, rādhā-kṛṣṇa pāite nāi
ドゥリダ コーリ ダロー ニターイ パーイ
dṛḍha kori’ dharo nitāir pāy
(2)
セー サンバンダ ナーヒ ジャール
se sambandha nāhi jā’r,
ブリター ジャンマ ゲーロー タール セイ パシュ ボーロー ドゥラーチャール
bṛthā janma gelo tā’r sei paśu boro durācār
ニターイ ナー ボリロー ムケー マジロー サンサーラ スケー
nitāi nā bolilo mukhe, majilo saṁsāra-sukhe
ヴィディヤー クレ キ コーリベー タール
vidyā-kule ki koribe tār
(3)
アハンカーレー マッタ ホーイヤー ニターイ パダ パーサリヤー
ahaṅkāre matta hoiyā, nitāi-pada pāsariyā
アサティエレ サティヤ コーリ マーニ
asatyere satya kori māni
ニターイェ コールナー ハベー ブラジェー ラーダー クリシュナ パーベー
nitāiyer koruṇā habe, braje rādhā-kṛṣṇa pābe
ダロ ニターイ チャラナ ドゥカーニ
dharo nitāi-caraṇa du’khāni
(4)
ニターイェ チャラナ サティヤ ターハーラ セーヴァカ ニティヤ
nitāiyer caraṇa satya, tāhāra sevaka nitya
ニターイ パダ サダー コーロー アーシャ
nitāi-pada sadā koro āśa
ナロッタマ ボーロー ドゥキー ニターイ モーレー コーロー スキー
narottama boro dukhī, nitāi more koro sukhī
ラーコー ラーンガ チャラネーラ パーシャ
rākho rāṅgā-caraṇera pāśa
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主ニティヤーナンダの蓮華の御足は癒やしの月明かりを浴びることができる安住の地です。そして一つからではなく、百万もの月々から月明かりを受け取ります。世界が真の平和を望むのであれば、主ニティヤーナンダに加護を求めるべきです。主ニティヤーナンダの蓮華の御足に身を委ねない限り、ラーダ・クリシュナに近づくのはとても困難です。ラーダ・クリシュナの踊りの宴に参加することを望む者は主ニティヤーナンダの蓮華の御足にしっかりとつかまるべきです。
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ニティヤーナンダ・プラブと関係を築いていない者は誰しも貴重な人間としての誕生を無駄にしているとみなされます。そのような人間は実際は制御不可能な動物にすぎません。ニティヤーナンダの聖なる御名を一度も唱えていないため、いわゆる物質的喜びに浸っているのです。意味のない教育と家族の伝統は彼にとってどのように役に立つのでしょう?
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偽の名誉と体を自分と同一と見なすことに必死で、その人は「このニティヤーナンダとは何だ?彼は私のために何ができる?そんなの気にしない」と考えます。その結果、彼は嘘を真実として受け入れているということになります。もし本当にラーダ・クリシュナとの交際に近づきたいのなら、まずは主ニティヤーナンダの慈悲を得なくてはなりません。主があなたに対して慈悲深くあれば、あなたはラーダ・クリシュナに近づくことができます。ですからあなたは主ニティヤーナンダの蓮華の御足をしっかりと掴むべきです。
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ニティヤーナンダの蓮華の御足は幻想ではなく事実です。ニティヤーナンダの超越的な愛情奉仕に携わる者も超越的です。常に主ニティヤーナンダの蓮華の御足を掴もうとしなさい。ナロッタマ・ダーサはとても落ち込んでいるので、主ニティヤーナンダに幸せにしてくださるよう祈っています。愛する主よ、どうかあなたの蓮華の御足の元にいさせてください。